考えてみると就職して10年経ったので、振り返ってみた(前編)

気づくと、2008年に社会人になってから10年が経った。

 

今まで3社経験してきたけど、その10年という節目を迎えたので、ちょっと振り返ってみようと思う。誰かの参考になればとはもちろん思うけど、自分自身への振り返りという意味を込めてザーッと一筆書きでやってみよう。

 

1年目〜4年目:金融業界に就職。とにかく目の前の仕事をこなす 

大学卒業後、2008年4月に外資系の銀行に就職。その銀行グループの東京支店で働き始めた。当時2006年に就職活動してたから、めちゃめちゃ売り手市場。一応人気だった外資系の金融業界には、その売り手市場を活かし、ラッキーで内定を勝ち取れました。ただ、リーマンショックの影響で入社1年目はえげつないリストラの嵐。一番コストが低いはずの僕たち新卒でさえも、ビクビクしながら仕事していたのを覚えている。その嵐の一例として、ある日出社すると、ある部署が完全閉鎖、その部員はその日以降出社できず、みたいな感じ… 

 

そんないきなり嵐の捲き起こる会社の1年目は、ローテーションプログラムから。人事評価と自身の希望を勘案し、3部署でそれぞれ4ヶ月OJTをして自分の適正を理解しつつ会社の全容と各プロダクトやオペレーションの理解を深める。(そういえば、そのうちの一ヶ月はロンドンで研修。といっても、ロンドンから電車で1,2時間の郊外ですがw)なんとか頑張って、全て希望通りの部署で研修完了。さらに、2年目に決まる本配属先も、自分の希望通り、法人営業部に決定。頑張ったのは事実やけど、やっぱり各部署の人に目をつけてもらえるか、気に入ってもらえるかどうかが重要だったような気が笑。選ぶ人による「好き嫌い」があり、結局そういうもんが大きく左右するというのはわかってたので、その辺もちゃんとできたかなw。

 

2年目は、さぁ、これからガンガン営業するぞ、と思いきや、基本的に大口のお客さんばっかりなので、いきなり専任で法人顧客を担当させてくれるわけではない。稟議書作成やリサーチなど、幅広くチームをサポートしつつ、少しずつ案件に交えてもらえるように、しっかりと業務を覚えていった。

 

ここで、ちょっと補足説明する。銀行の営業は、二つあって、うち一つはプロダクト営業、もう一つはいわゆるアカウント営業。前者は、名の通りあるプロダクトだけを担当している営業マンで、それだけを深く広くする商品・サービスのスペシャリスト。例えば、為替、プロジェクトファイナンス、資金管理(キャッシュマネジメント)、貿易金融などいろいろあって、それぞれ専門知識が必要になる。後者は、いわゆる顧客担当。お客さんと向き合い、課題を見つけ、その解決にあった商品・サービスをプロダクト営業と一緒に提案しに行く。何よりお客さんのことを一番知ることが求められ、かつ社内で稟議の可否を見通せるハンドルさばきが必要(銀行なので、与信審査がほぼ全てのプロダクトに必要なため)。働いたことがないからわからんけど、広告代理店とかともこのモデルは似ている部分があると聞いたことがある。顧客を担当しているアカウント営業がいて、各メディアや制作部の担当者と連携して営業する、感じなのかな。そうすると、なるほどねと役割の違いをわかってくれる人もいた気がする(「与信」判断はもちろんないと思うけど)。

 

ここでいうとアカウント営業のチームに僕は配属になったわけで、そのためには、まずはプロダクトの基本的なことを知る必要が大前提にある。そうしないと、何が顧客に必要なのかが分からないし、社内のプロダクト営業にもつなげられない。だから、いろんなプロダクト知識をいろんな案件を通じて吸収していきつつ、各アカウントとの関係の作り方、プロダクト営業の巻込み方、与信判断を学んでいく感じ。

 

だから、2年目はとにかく早く独り立ちするにはどうすればいいかを考えていた。お金を扱う仕事だったからか、プロダクトのことも分からない若手に上司がある顧客を任せるのはとってもハードルが高かったのだ。とってもウズウズしたし、いかに少しでも多くのことを任せて貰えるかを考えながら仕事していた。さっさと「僕こそがこれをやってるんだ」と言いたかったからだ。そのためには、社内とお客さんから小さい信頼を積み上げるしかなかったし、与えられたものをしっかりとこなしていって、少しずつ担当の領域を増やしていった。そうすると数社担当できるまで増やしていけた。

 

そんな中3年目に大きなチャンスが訪れた。それは、チームの中の先輩が一人退職することになったのだ。上司が変わり、その先輩は馬が合わなくなったようなんだが、これは千載一遇のチャンスだと思った。なぜかというと、その人が担当するお客さんを誰が担当するか、という話になるからだ。つまり、僕にも担当アカウントを勝ち取れるチャンスがあることを意味している。総メンバー数は純減するので、他のメンバーに負担が行き過ぎないようになるはずだから、いくつか担当をくれと僕が上司に言ったところ、超大口以外は僕が引き受けることになった。

 

僕個人にとっては、先輩の退職が最高な結果をもたらし、同部署で他のチームにいた他の同期の誰よりも早く、自分のアカウントを持つことになった。その3年目と続いて担当をもった4年目はやっぱり経験からすると少しストレッチした業務内容になっていたのだが、ぐーーと成長スピードを高められるようになった。先輩が訪問しても相手にされなかった大手先とも新規で取引が始まったり、「あっ、俺やからこそできた案件やな」と思えるような満足感が多かったように思う。目に見えないものを扱うビジネスのため、僕自身がどう振る舞い、どう見せるかで、顧客への印象が変えられるため、まさにここは金融の面白さがあるなぁと思った。

 

5年目:コアメンバーになる。でも発展性に陰りが。

こんな感じで続けていくと、完全にチームのコアメンバーになれた。プロダクト営業にはそのプロダクトだけをずっとやり続けている職人みたいな人がいたりするが、そういう人たちともうまくコミュニケーションを取りながら、なんとかチーム内では中心メンバーになれたのが5年目。多くの良きお客さんとも巡り会い、自分を信頼してくれていることを実感できるときは何よりも楽しかった。

 

でもその一方で、慣れてきた時期でもあるので、毎年繰り返される同じようなサイクルを踏まえ、このままでいいのかと思い始めた。過去の4年間のように成長していけるのか、それを考えるとちょっと違うなと思い始めた。それは、やっぱり超がつくほどの大企業であったため、その末端の1チームに求められることは毎年ほぼ変わらない。組織の一ファンクションとして例年通りきちんと機能することが求められている。だから、このままいっても同じような案件を追いかけていくのは目に見えていた。。。だから、一度転職するか、それとも社内で異動を願い出るかしようと思ったのはまさにこの頃のことだった。

 

ここまでのまとめ:

5年目までのことを振り返ると、自分が何をしたいかを考えて続けてきた。だからこそローテーションプログラムでも本配属でも、行きたい部署に行くためには何が必要かを考えることができたんだと思うし、そのための行動は起こしてきた。同時に、目の前に何気なく転がってきたミッション・業務を「自分には関係ない」と見過ごすのではなく、食らいついていったことが、自分が行きたい方向に進める原動力になったはずだ。また、このように振り返ってみると気づけることとして、成長の実感があるかどうかも大切。なんかいつも同じことしてるなぁ、またこれかぁ、と思うようになると、それは違うことに取り組む、もしくは環境を変えるタイミングなんだろうなと、改めて思った。

 

 

本当は直近の仕事のことまで書きたかったんだけど、もっと長くなりそうなので、一旦この辺で終了しますw。 また明日もしくは今週のどこかで、後編を書きます。後編は、5年目から現職までのことを書く予定です。

 

それと最後に、週末にとっても良い写真が取れたので、ここでもお見せします。

 

最後に、週末はお台場へ家族でお出かけ。

空が広くて、久しぶりにええ写真撮れた! 

そして、この道を3歳の息子とダッシュしました!笑。

 

 

 

 

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